勢いよく上京を決意したものの、何の準備も計画もしておらず、、、笑
先ず何をするべきか、、、
とりあえず福岡を離れる、という事で、バイト先や、ダンススタジオに辞めます、ってちゃんと伝えなくては!
直ぐさま各所に、
「お話しがあります。。。」
と、時間をいただき、、、
順番に話して行く中で、様々な反応があり、多少難航した所もありましたが、誠意を持ってしっかり思いの丈を伝え、何とか快諾してもらえました。
次は、住む部屋探し。
当時、東京だったら何処でもいいや!ってくらい、テキトーに探し始めていた。
そんな中、上京する!と決めたことを、まだ家族に伝えておらず、一応、母親に、
「おれ、もうすぐしたら東京に住むから!」
と話した。
すると、
「だったら中野区が良いんじゃない?」
と、、、
僕は全く疑うことなく、
「わかった!」
と、中野区内で探すことにした。
理由は、元々母親は東京の人間でもあり、自分より遥かに土地勘も含めて詳しいし、芸人さんたちが多く住んでいると、何かで(テレビとか)知っていてたので、芸人を目指す訳ではないが、ある意味ではダンサーも芸人ってことで、なんとなくスタートする場所には良いかなと、直感で決めました。笑
それからはひたすら、ネットで不動産屋さんを調べて、電話をかけまくって、条件を伝えて、10数件かけた時、やっと条件の良い家が見つかり、無事に決まりました!
駅から徒歩3分、家賃6万円の5.5畳の1R。
決して広くはないが、駅チカだし、最低限の生活が出来て住めれば良いと思っていた。
初期費用を納め、あとは飛行機のチケットをとり、東京に行くだけ。様々お世話になった方々や、スタジオなどに挨拶をして、2011年、5月31日に念願の上京を果たす。
しかし、衝動に駆られ、上京を決めたので、貯金などしておらず、行けば何とかなるっしょ!?みたいな、お調子者バカで、純粋無垢で、人生HIPHOPだぜ!と言い聞かせて来たので、家財道具など一切なく、前編の最初に書いたように、現金8万円と圧縮した布団だけを持った状態で住み始めた。洋服や日用品は、既にダンボールに詰めて、後日届くようにしておいたが、初日は何もない、まっさらの部屋で、正に素泊まりとはこの事、と言わんばかり。
「さて、どうしよ、、、笑」
という感じで、僕の東京生活が始まりました。
ここからは、様々な出会いがあり、いろんな人の助けをもらい、家財道具もほとんど貰い物で揃えることができました。笑
中でも、こっちに来て数日たったころ、電車の中で、福岡の後輩ダンサー(東京に住んでるとだけ知っていた)とバッタリ出会い、まさかの降りる駅も同じで、帰る道も同じで、、、
なんと、彼のお家が、僕の家の目の前だったのです!!!
そして、びっくりしつつ、
「まだ、俺、来たばっかりっちゃんね〜」
などと、色々な話をしていると、
「冷蔵庫とか要ります??買い替えたばかりで、前使ってたやつでよければ、、、」
と、言ってきてくれたのだ!!
その時は、特に冷蔵庫を欲していたので、
「うん!!!ありがとう!泣」
そう言って、もらう日取りを決め、それぞれ帰宅していった。
その他にも、事情を知ってくれていた彼は、ご飯をくれたり、事あるごとに誘ってくれたり、知らない土地に1人だった僕は、本当に救われました。ありがとう。。。
他にも新たな出会いの中や、元々の知り合いを通して、たくさん助けてもらいながら生活が整いはじめました。その時の事は今でもずっと忘れません。
その後は、バイトとダンスを両立する日々。
と言うより、ほぼバイトばかりで、ダンスは週1回だけ(レッスンを受ける)。思っていた生活とは一変。ただただ生活することが優先となり、ダンスは二の次。
「あれ?俺、何しに来たんだっけ?」
気付けば、少しずつ自暴自棄になっていた。
そんな時だった。
当時、お台場の倉庫に派遣され、固定(週5.6)で働いてた。仕事も終わり、帰ろうとした時、電話が鳴った。その派遣会社からだった。
「申し訳ないんだけど、、、来月からの仕事は無くなった。他を探してくれ。すまん。」
と言う連絡だった。
しかも言われたのが月末。
あまりにも急過ぎる。
「来月からどうしよ、、、」
と、帰りの電車(ゆりかもめ)の中で、レイボーブリッジを横目に、1人不安に苛まれながら帰路に着く。
そして、
数日後、、、
更に自身を追い込む事となる出来事が、、、
続く
上京当時の写真